天童木工 ロッキングチェア
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20年前になりますが会社の同僚がタープが欲しいのでつきあってくれということでICI石井に連れていきましたらマウンテンバイクが何台か置いてありました。前の週に娘にマウンテンバイクを買ったばかりだったので眺めているうちに欲しくなりました。7~8台の中にあったのがアラヤのマディフォックスでした。前輪を取り外してなんとか車のトランクに積んで持ち帰りますと娘がちょうど帰ってきてガクデン山へ行こうというので早速乗って漕ぎ始めました。自転車は中学以来です。娘が入学したばかりの宮ヶ丘小学校の前をぬけて登り始めますと娘はスイスイ行きますがこちらはヨレヨレでしたが絶対途中下車してなるものかとギヤを軽くして後ろからついて行きました。頂上につくと娘が展望台みたいなジムの上に跳ぶように登っていきましたがボクはハアハアいいながら下車しましたら脚に力が入らなくて膝から落ちてしまいました。渓流を飛び歩くので脚力には自信がありましたが使わない筋肉は落ちているらしく愕然としました。しばらくベンチで横になる始末で自転車はもしかしたら身体には抜群にいいかもとトレーニングを心に誓うのでしたが間もなくカーポートの柱にカギ付きワイヤーでくくり付けたマディフォックスは消えていました。ワイヤーカッター持参で仕事をしたと思われる盗賊には降参でした。
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山菜採り用の腰籠です。右側が根曲がり竹で小樽の竹材店のオヤジが編んだものです。根曲がり竹は丈夫で左側のように面取りをしていないので使い込んでいくとアメ色になって雰囲気が出てきます。ボクは山菜取りといっても人に貰うのが専門で自ら採りに行って楽しいのは落葉キノコ(花いぐち)ですね。キノコは人を狂わすで群生しているのを見つけると静寂の落葉林の中で狂喜乱舞したくなります。ずいぶん昔にお客さんのところでキノコの話になって「昔のアイヌの人たちも落葉キノコを食べたんだろうね」って言うので「そりゃあ美味しいから食べたでしょう」と答えると「それはありえないんだわ」「???」
カラマツは主に本州の中部山岳地帯原産で明治中期以降に北海道に植林されたものです。北海道にはカラマツの近隣種のグイマツが群生していましたが8000年ほど前に絶滅したそうです。したがってアイヌの人たちは落葉キノコを食べることが出来なかったということです。ボクは30代頃は赤エゾ松が好きで庭にずいぶん植えて枯山水風の庭造りに狂いましたがこのごろはカラマツが大好きです。一年を通してそれぞれに風情があります。
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ボクには物心ついた頃から祖父同様の人が身近にいましてその人物は父親の勤務先のボスでした。ボクが結婚した年に亡くなるまでずいぶん面倒をかけました。4人の子を成しましたが家庭的には恵まれたとは言えない独り身でしたがいつも悠々として風格のある人でした。ときおり光る眼光がタダモノではありませんが中々の狸オヤジです。高校生の頃は酔うと電話が来て呼び出されます。うまい物を食わせてもらって酒もご馳走になると翌日は決まって学校をサボってデパートの催事や美術館で骨董、書画、焼き物を見につき合わされます。コレクションもかなりでボクの骨董趣味や絵や書の好みはこのジイサンの影響大です。このジイサンは時計を取り替えるたびに決まって金のトノー(角)しか腕にはめません。丸型は絶対しません。ベルトは皮で必ずクロコダイルの背ワニか腹ワニでした。後年ボクもこのタイプの時計が欲しくて時計屋を回って手に入れたのが1940年頃のデッドストックのブローバのトノーでした。このカルティエのガルベを手に入れたのもスクエアタイプへのあこがれですね。とりもなおさずジイサンへの憧憬と愛着かもしれません。
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カムリの30系がデビューしてすぐに購入しました。このカムリから始まるこの頃のトヨタは設計段階からバブル景気の最中でコストがふんだんにかけられていてとにかく豪華でした。クラウンから小型のカローラⅡまで一貫してそういう時代でした。次のモデルになるとすでにバブル崩壊後でコストの削減はシロート目にも明らかでずいぶん不平不満がディーラーにもあったようです。
このカムリのエンジンは前のSV20系と同じ3S-FEで不満はありませんでした。当時はエアバッグ、ABSがまだメーカーオプションでしたのですべて付けました。4WDはべベルギア式センターデフのフルタイムでボクとしては前後輪のトルク配分の調整が可能だったらうれしかったのですが50:50の固定です。シルバーが微量バイオレットを溶かし込んだような妖しい色でしたがボクは好きでした。重量からみても4WDのZXで1.4トン超えですからいかにオーバークオリティだったかわかります。ちなみにこの次の40系では150kg以上も軽量化したはずです。重いわりには燃費は悪くなく冬季の市内走行ではカローラの100系4WDより実は燃費データが上でした。好き嫌いは別にしてとにかくトヨタは頑丈でクオリティの高さはすごいと思いますね。
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娘が小学生の頃に学校でリコーダーを折ったらしく帰りに買ってきて欲しいと家から電話があり狸小路のキクヤへ。ボクには縁のない楽器店というところへ足を踏み入れてみるとなにやらキラキラしていて楽しそうでしばらく店内を見学していましたらボクにもやれそうな楽器を見つけました。ハーモニカです。ガラスケースの中にスティービー・ワンダー使用モデルというのがあってドイツのホーナー社製でした。妙なボタンというか棒が刺さっているようなクロマニカは穴が一列でした。ボクが小さい頃に持っていたトンボでも2段で上段が半音でした。こんな少ない穴でスティービーは「Isn't She Lovely」(可愛いアイシャ)を演奏したのだろうかと不思議でなりません。
クロマニカの近くに小さな可愛い10穴ハーモニカがいくつもディスプレイしてありました。ブルースハープという製品で小さくて可愛いので1個買って帰りました。後日キャンプに持って行きましたらなんだかやたら懐かしい音らしく友人たちがオレにも吹かせろ吹かせろで焚き火を囲んでの火祭りは小学校唱歌で大盛り上がりでした。ブルーハープが唾だらけで閉口したので次回からは友人達の分も用意したのを憶えています。
その後スティビー・ワンダーのライブビデオを見る機会が幾度かありましたがクロマニカを使ってサイドのボタンを細かく動かしています。吹くとド吸うとレでボタンを押し込んで吹くと半音上がってド#吸うとレ#が出せるのがクロマティックという仕組みらしく1穴4音ということですがそれにしてもすごいテクニックです。2005年でしたかスティービー・ワンダーが来日した時にかたわらに大人になった娘のアイシャがいました。赤ん坊は横顔が父親そっくりの素敵な女性になっていました。アルバム「キー・オブ・ライフ」が1976年でしたからその時点で29年経過していたわけです。スティービーの「ステイ・ゴールド」の中に人生は瞬きくらいの間というフレーズがありますが彼女を見ててそう思いました。
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この手の噛みつきプライヤーはロッキングプライヤーといいますがバイスグリップが通称になっています。VISE-GRIPはネブラスカの鍛冶屋のピーターセンさんの特許品だそうです。最初にロッキングプライヤーと出会ったのはトヨタのフロントに頼んで購入した純正工具箱の中に入っていました。最初はどうやるんだと思いましたが使い方が分かると頭のいい奴がいるもんだなぁと感心しました。恐るべき力でいったん咬みついたら離しません。普通のプライヤーは自慢の握力で握り続けなければなりませんがこれは解除レバーを押すまで離しません。フックを挟んでフライを巻いたこともありました。便利な道具はあちこちで活躍するので失くすことも多く最初のトヨタ純正工具のロッキングプライヤーは姿が見えなくなりました。それで購入したのが御本家ピーターセンのバイスグリップです。工具箱の中にはなくてはならない逸品です。バイスグリップと同じでキャタピラーも登録商標で日本ではキャタピラー三菱しか使えない呼称ですが誰でもキャタピラーと言います。あれは本当は無限軌道と言うそうです。
最近何十年ぶりで実家のガレージの工具箱の中からトヨタのロッキングプライヤーが出てきました。錆びていたので錆落としをしましたら風格が出ていました。
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夕マズメ時から薄暮になると手元の作業がおぼつかないのでベストの胸ポケットには定番のフレックスライトが差し込んであります。これがないとフライの交換もままなりません。昔の美笛川の河口は沖に向かって50メートル以上も遠浅になっていて崖のように落ち込んでいるギリギリポイントで腰まで浸かってドライフライを振っていると少しづつ暗くなってきます。夕焼けを写した湖面がものすごい色に染まりますがやがて徐々に闇が浸透してきます。すると突如静寂を破ってアメマスのライズが起こりはじめます。最初はあまりの数と喧騒に驚きましたが自分は今だれにも邪魔されずに支笏湖をひとりじめにしているような気分になったものです。実際フライマンなど見たこともなくだあれもいません。
美笛の河口から右に300M程のところに昔はセンターがあって(今は廃墟かな)チップ釣りのボートに切り上げの音楽を流します。たぶん今でも聞こえるはずです。夏場は6時だったと記憶していますが曲名はドボルザークの「新世界」第2楽章(家路)でした。実際あの音楽が流れてもフライロッドを振る手は止むことはないのですが・・・。とっぷりと日が暮れて完全に闇に包まれるまでキャストは続きます。そのままテントも張らずに焚き火だけで巨大な流木にもたれかかって何度も夜を明かしました。その頃の美笛河口は野営場側から歩くしかなく四論駆動車も一切入れずで砂地が柔らかくて砂浜のようでした。
“暮れそめし河のほとりにマスを焼く” ボクは基本的にキャッチ&イート派でして釣ったら喰うです。テントなしの野営は天空の星がきれいでさながら天体ショーでした。
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ロットリングはドイツの筆記具メーカーで製図用品に秀逸なものが多いようです。ロットリングは赤い輪という意味です。このシャープペンは店頭で見かけましたが第一印象はロットリングらしいシャープさがない、カッコよくない、でしたが手にしてみると質感がよく黒の先端部分も鉄の塊りを思わせるような重量感でつかみ易さは最高でした。見た目とは大違いで使うほどに気に入っています。自動芯送り装置がついているようですが少し芯長めで書きたいのでノックはしてしまいます。ペンテルでも自動で芯が出てくるシャープペンがありますが同じようにノックをして使っていました。使い方が分かっていないのかも知れません。とっくに廃番になっているようです。ロットリングの製品にはどこかに赤の輪が必ずあります。
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社会人になって最初に持ったテントがこれでした。昔のコールマンはアメリカンタイプのテントをいくつか作っていて日本コールマンで輸入販売していました。アメリカンヘリテージやオアシスなんて巨大なものがありましたがボクのは一番コンパクトな4~5人用タイプでした。キャンバス地で重量がありました。屋根の棟木にあたる部分に一本パイプがあってテンションをかけて張りを出します。
81年の夏休みに島牧に仲間と2泊の予定でダイビングに出かけました。タンクも2~30本レンタルしてハイエースのレンタカーにフロントが持ち上がるほど積み込んで万全の体制で向かいました。島牧に着くと同時にポツポツと雨が落ちてきました。岩場にキャンプを張ってブルーシートでタープを作ってウェットスーツに着替えて各々バディを組んで好きに潜って・・・を二度ほど繰り返していましたが雨は一向に止む気配がありません。夜になると本降りでタープを叩く音がうるさいくらいでした。それでも夜半まで宴会をしていましたが二つのテントに分かれて眠ることにしました。買ったばかりのクラシックを持っていきましたがしばらくして雨漏れに気づきました。テンションがかかる端のシームが開いて雨が染みこんでくるようでした。仲間は文句タラタラでボクはカッカしながらもやがて心細くなってカンサスのウィチタはあまり雨が降らないのかなあ・・などと考えながら夜を明かすのでした。糸を引くような雨が翌日も降り続いていましたが予定通りダイビングと夜の宴会をこなして札幌に戻りましたがついに雨が止むことはありませんでした。
翌日は長い夏休み明けの出勤日でしたが神宮の表参道が大河のように道巾いっぱいに流れていて28丁目側からそれを見て恐怖を感じましたがこのような風景は生涯見ることがないだろうと逆にワクワクしてくるのでした。水没したタクシーや乗用車はそこらに沢山あってバスがとなりを通るとその横波でボクのクルマが動くのには慌てました。水位はエアクリーナーから水を吸い込むギリギリだったかも知れません。シリンダーに水を吸い込むとコンロッドが飴のように曲がってエンジンはパーです。恐怖の円山、旭ヶ丘を抜けて無事会社へたどり着きますがミーティングが終わると脱兎のごとく秀岳荘へ走って雨に強いテントを物色し始めるのでした。
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30年ほど前に取引先の呉服屋さんで履物の話をしていて日本人は下駄を履かなくなったという話をしていましたがフーテンの寅さんの雪駄の話になりました。本物の雪駄を見たことがあるかい?本物って?で藤表の雪駄を見せてもらいました。素晴らしいもので欲しくなりましたが値段を聞いて縮んじゃいました。10万程だったと思います。畳表の古い在庫なら安く出せるということでその品を見ましたらこれも素晴らしく裏は厚い牛革で鉄の鋲がはめてあります。これがチャラチャラと寅さんの歩く音をたてます。それよりかなり昔の価格で三万円チョットのものでしたが一万円でわけてもらいました。以来お気に入りで夏場は雪駄です。今は五代目くらいですがビニール表の安物専門ですが底だけは本物です。涼しくて蒸れないですし普通のパンツでもジーンズでもショートパンツでも違和感なく合います。あの音が中々心地よく好みで鼻緒を選ぶのも楽しいものです。ニシキヘビ柄の雪駄も気に入っていますが女性には受けないかも。
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ミッドカットの日帰り用トレッキングシューズです。ソールは柔らかめで軽く歩きやすくて疲れません。アッパーはヌバックで色使いが渋くて気に入っています。すでにソールのクッションがボロボロでリタイヤ寸前です。札幌近郊の山や樽前岳、雨竜沼湿原から南暑寒別あたりの日帰りに活躍しました。靴を見ているとふと出かけてみようかなという気分になります。ボクをあの絶景の高みへ運んでくれるキントン雲ですからね。
この靴にとって一番過酷だったのは山菜採りかも知れませんね。特に春先の竹の子(ネマガリダケ)採りなどは長靴なら脱げちゃうくらい頑強な竹が密生していて大変です。あれほどの思いをしてまで竹の子を食べたいと思わなくなりましたから元来ナマケモノかもしれません。ボクよりも上の団塊の世代以上のリタイヤ世代の話題は山菜取りと温泉とパークゴルフです。意欲満々たるものを感じます。居酒屋でその世代といっしょに飲んでも共通してパワフルのようです。
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子供の頃の素潜りにはスノーケルはありませんでした。フィンすらありません。マスクはフルフェイスの丸型で鼻まで覆われるので耳抜きができません。もっとも耳抜きなどというテクを知りませんから耳栓をしていました。耳栓に一番良いのはガムでした。甘さが無くなるまで徹底して噛んでから適当な大きさにちぎって海水で冷やして指で揉んで使います。風船ガムは柔らかすぎて耳の奥に粘るので危険です。ボクがガムを使い始めてから友人が真似て耳鼻科へ行ったのが少なくありません。実際耳栓は危険なもので水圧がかかっても内部圧が逃げないので頭痛とオレンジ色の鼻血には悩まされました。それでも海中の世界には魔力がありますから夢中でした。
後年フィンを手にしてキヌガワのマンティスで耳抜きを知ったときは世界が変わりました。どこまでも深いところへ行けるように思ったものです。子供の頃のマスクは水圧でガラスがミシミシ音を立てていつ割れるかと怖かったものです。そしてこのサナバガンを試した時にはあまりに快適で疲労が激減しました。以前は水中から水面へ顔を出すと先端まで詰まった海水を一気に肺の力で吹き飛ばすわけですが毎回だとけっこう疲れます。実際使わない方が快適なので使いませんでした。ところがサナバガンは筒先端が海面へ出て大気圧がかかるとマウスピース横の排出弁から海水が自動排水されます。吹き飛ばす海水はマウスピース下にわずかに残ったものだけですから非常に楽です。これに兄貴分の太目のショットガンがありました。スキューバにはそちらを使っていました。クレッシイのロンディンとキヌガワのマンティス、そしてスキューバプロのサナバガンがボクの黄金の3点セットでした。
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キャンプでの調理はほとんどの場合ぺティナイフで済みますが魚の処理はやはり片歯に限ります。本当は割り込みの和包丁が一番ですが野外道具は使わない時は倉庫かガレージでほったらかしなので和包丁だと錆にやられてしまいます。このガーバーサカイの出刃はステンレスなのでアウトドアにはもってこいです。重量もあるのでタラバでも鳥でも骨ごとぶった切れます。一度キャンプへ出かけると喰う、飲む、寝る、釣るが楽しみのほとんどですが特に喰うには作ると飲むも付随するので楽しみ二倍というわけです。
バリバリのサンマを三枚におろして刺身を作っていると友人が身の削ぎ方が逆だ、それだと小骨がうるさく感じて口当たりが悪い、たのむからオレの言うことを聞けと小骨よりうるさい。たまねぎをうすく切って皿に敷いてその上に削ぎ切りにしたサンマをきれいに並べて醤油と一味唐辛子で食します。たまねぎの辛味と唐辛子の辛味がいい具合にサンマに合うのですね。ウマイと言うとだからオレの言うこと聞いてよかったべと得意満面です。でもあの昔にサンマの刺身を食べてる人間なんてボク等以外に見たことも聞いたこともありませんでしたね。最近はスーパーでも売るようになりましたね。友人がオトナの頭ほどのホンマグロの頭を寸胴で煮込んで大皿にドッカ~ンとおいて・・・これはなんという料理だと聞くとツナヘッドスペシャル・・・大爆笑でした。目玉がゴルフボールより大きくてあれのまわりのゼラチンが美味かった。
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昭和の子供たち御用達の雑魚用の魚籠です。釣具屋さんの店頭に竹の一本竿が束になって立てかけてあるのを真剣そのもので選びに選んで真っ直ぐな一本を見つけ出して・・・釣具屋のオヤジにあの頃は何十円払ったんだろうか。30円とか50円くらいでしょうか。先端に蛇口(ジャグチではなくヘビグチ)を取り付けるのに綿糸とセメンダインで固めて・・・ウグイだのヤマメだの釣ってはこのズックの魚籠に入れて・・・カジカ突き、フナ、ザリガニ、カニ・・・いつも半ズボンに下駄はいて。ボクのお気に入りの下駄には大鵬とエナメルで書いてありましたがそれも擦れて消えて歯も擦り減って・・・それでも日々ご機嫌でした。ケガのない日なんてのはほとんどなくて生傷が絶えず、いまでも思うのですが赤チンにはずいぶん助けられました。鉛入りの乾くと黄緑色に妖しく光る赤チンじゃなくちゃダメなのです。カンシャク玉、2B弾、縁日の夜店の妖しいおっちゃんとカーバイトのニオイ・・・哀愁の昭和も遠くなりにけりです。
幼心にボクをいちばん落胆させた事件は2B弾の販売禁止でした。泣きたいくらいにガッカリしました。愛しい2B弾についてはまた後日。
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ラジコンカーなどには全く興味がなかったのですが長い正月休みの暇つぶしに作れと玩具卸屋の友人が最初に持ってきたのがタミヤのマイティフロッグだったと記憶しています。FRバギーでしたが実家の和室で完成すると試しにリモコンのレバーを倒してみました。するといきなり後輪がものすごい回転を初めて畳がザックリ削れて煙が出たかと思うと猛スピードで走り出して向うで遊んでいた幼い長男に激突して泣き出すわで驚くパワーでした。息子の足に出来た紫色のアザはしばらく消えませんでしたが正直折れたと思いました。その後徐々にハマりだしまして最初は悪いからイヤイヤ作っていたものがあれもってこい、これもってこいと友人に要求するようになります。かなり作りましたが記憶に残るバギーでは京商のオプティマ、プログレス、タミヤではアバンテそしてこのホットショットでしょうか。これらはすべて4WDで足回りも凝ったものでした。オリジナルではあき足らず考えられるチューンナップはすべて施しました。モーター交換はもちろんフルベアリング、とくにサスペンションとダンパーには凝りに凝りました。オイルの粘度を何種類も試して減退力の調整をします。ショックアブソーバーも高いものになると普通のクルマの純正品と大差ありません。ボクの好みとしてはアバンテがよかったかな。このホットショットも足回りは大幅に改造してオリジナルとはずいぶん違うものになっていました。足回り部品がメタルなら最高でしたね。
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オランダKONI社のショックアブソーバーです。オイルプレッシャーでガスではありません。TE71セダンに装着していました。トヨタ純正のカヤバに比べると縮み側減退力で3割ほどアップしてバタつきがなくなります。コニの赤が魅惑的で魔力がありました。TRDのリミテッドスリップデフを入れて外見はノーマルでアルミホイールだけATSの星型(これが好きだった)にしてタイヤハウスからチラリズムでのぞくスペシャルDの赤がちょっとだけスパルタンな感じで、まぁちょっとした遊びと自己満足の世界です。コニはその後ロゴも変わって黄色になったようですが今でもあるのでしょうか。黄色ならビルシュタインと変わりませんね。ビルシュタインを使ったこともありましたがあれはどのクルマだったか・・・大昔のことはハッキリ憶えているのですが。
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コンタックスT2を壊してからニコン35Tiに触手を伸ばしましたが間もなく28Tiが追加発売になったので迷わずこちらを選択しました。調べてみると94年のことでコンタックスT2の発売が89年だったようです。ニコン28Tiのアナログ表示部を見て面白いと思いました。これにやられて買ったかもしれません。絞り、補正、距離、タイマーが針で表示されますが操作するコマンドダイヤルは次世代デジタルカメラに似ています。35Tiはフラッシュボタンがプッシュ式でしたがスライド式に変更になっています。ニコンでは35Tiユーザーへこのスイッチの無償交換サービスをしていましたが今はどうでしょうか。やはりニコン党なのでコンタックスに比べると馴染むというか肌が合います。
このカメラはわずか3年後の97年に販売中止になります。98年にウィンドウズ98が発売になりデジタルカメラブームの幕が開きます。銀塩カメラの終焉期に咲いた黒ユリだったのかな。それにしても98年になってミノルタではTC-1という28Tiよりひと回り以上も小さいタバコサイズの高級超コンパクトを発売します。季節はずれというか卒業記念なのか・・・創業70周年記念モデルだったようですが豪華な記念切手でした(デジタル何するものぞと書いてあったかどうか)。いずれにしても20世紀(アナログ)の終焉でした。
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いつも船釣りをいっしょにする先輩の家で宴会が年に2度ほど定期開催されます。彼はずっと独身で若い頃から自宅を持ってローンもなく家の中はおもちゃ箱のようでガレージの中には真っ赤なドカティやカワサキの1300やらヴェスパがあったり居間にはドラムセットとギターが何本もおいてあります。自慢のギブソンのギターで吉田拓郎を歌った時にはあまりのヒドさに愕然としたことがあります。ある時に2階を探検しましたらオーディオルームがあって使用していないアンプが棚にきれいにいくつも並べられていました。みるとラックスばかりゴロゴロあります。そのなかに昔欲しかったSQ38FDを見つけました。あの名器をここで鳴らしもしないで朽ちさせるくらいならオレにくれた方がなんぼいーかと言うと“おおーもってけもってけ!”
LX38はすでにあったのでこれで最初にヴィソニックのダビットを鳴らしていましたが間もなく欲しかったタンノイのイートンを仕入れてつなぎました。ボクの好みにドンピシャリで酔いしれました。あれから20数年、釣りのたびに今年はオンナ紹介するゾォ~と言うと相好を崩して喜ぶ先輩は相変わらずの独身で間もなく還暦を迎えます。愛しのイートンについてはまた後日。
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